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らはいむ

「Anakhanu lo tzrikhiim.」


今日は、昨日と打って変わって、体調がいいような気がする。

最近は華流中心に歌謡曲、そのほとんどがラブソングばかり。それはそれで楽しいのだけど。
久しぶりにちょっと趣向を変えて。他の歌についても書いてみる。

Shlomo Artziの「Anakhanu lo tzrikhiim.」この方については、あまりよく知らないのだが、以色列では結構有名なシンガーソングライター?みたい。もう50歳は過ぎているのかな。声質は、いわゆる錆び系で、私は基本的に苦手だが、癖になると結構はまるらしい。

この曲は以色列にいたとき、よく耳にした・・・というか、耳にした回数というより、妙に耳に残る曲。特に前奏が。一瞬日本の演歌?と思うような、どこかで聞いた事があるようなないようなメロディ。正直苦手。
歌詞もサビの一部しか、私の貧困なリスニング力では聴き取れず。

「Yoter mize anakhanu lo tzrihiim.」(We don't need more than that.~私たちはそれ以上もういらない」というサビのサビはともかく、部分的に聞こえてきた「彼」「もう一度」「雨」とかいう単語を勝手に組み合わせ、「雨、雨、降れ降れもっと降れ、私のいいヒト連れて来い・・・(そんな演歌あったよね、たしか。)もう一度、彼に会わせて、それ以上何もいらないわ、私。」というようなド演歌の世界だと勝手に解釈していた。・・・曲調から勝手に。

まーこれが大間違いだったってことは、後でわかるのだけれども。だいたい主語が、「私」じゃなくて、「私たち」っていうことは、かろうじて聞き取れていたくせに。アホか、自分。

何か違うということに気が付いたのは、戦没者慰霊式典で、10歳前後の女の子が、この歌を歌っているのを、テレビで見て。さすがに、この場で歌うには、私が勝手に解釈した内容はそぐわないよね。

それで真面目にCDを手に入れて、歌詞も読んでみた。・・・。重くて痛い。



眼から出づる涙もない。
口から出づる言葉もない。
他に何を望むことがあろうか。
もう何もかも望み尽くしてしまったんだ、我われは。

然るべき時に、雨よ降ってくれ。
春に、あちこちで花が咲くように。
彼が自分の家に帰ってくるように。
それ以上、何もいらない、我われは。

1000年の間、苦しんできた。
奥深くに刻まれた傷。
涙も枯れ果てた。
誰か教えてくれ。
この試練にパスできたのか、我われは?

自分たちの頭を埋めてきた。
一つ、また一つ、土をかけて。
ゴムの樹の間に間に並んでいく墓標。
もうすぐ"徴し"が咲き乱れるように顕れる。
"我ーわれ"の祈りが受け入れられた
"徴し"が。


うーん、訳があっているかどうかわかんないし、かなり意訳してしまった部分もあるけど、私はこんなふうに解釈した。

「anakhanu」(we)、日本語にしたとき、この場合、どれが一番しっくりくるのか。「私達、私たち、我々、我ら、俺たち、うちら、あたしたち・・・」日本語はこういうところが難しいよな。で、ちょっと硬いけど、”我われ”を採用。曲が演歌っぽいからなー。もっと演歌っぽく柔らかくしたかったんだけど。最後の「meod ishiit」(very personal)を「我ーわれ」にしてみた。たしか昔読んだ、何かのエッセイでこの言葉を使っていたような。「ishiiit」(personal)という意味に解釈していいのかは、わからないけど。ちと大げさな字面だから、「meod」(very)も組み込めるような組み込めないような。ま、いいや。何かを訳すときは、「私が文法だ。ことばの定義者だ」と思うことにしている。(なんてゴーマンな)でないと、進まないし。



by ruthk | 2005-08-25 06:58 | なつかしいくに

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