らはいむ

「在黑暗中漫舞」

この作品を見たのは1年ほど前。

きっかけは阿旭が「好きな映画」として挙げていたから。

阿旭オススメvの映画だって~vミルミル~
・・・と、かなりミーハーなノリで見てしまったのだが・・・


鑑賞後、ずーーーんとなってしまった。

(この気分の格差、なんとかして欲しい。)



2度と見たくない映画。
2度と忘れない映画。

そういう意味では、すごい作品で傑作であると言える。
「好きな作品」としては、到底、挙げられないけれど。

映画を見てから数ヶ月後、ようやく聴けるようになった
サントラの方は、何度も何度も繰り返し聴き、
かなりのお気に入り。


◇  ◇  ◇


中盤「I've seen it all」のところで
何故だか泣けてきた。(<何も起きてないじゃん、早いよ!)
だが、カタルシスの涙が流せるのは、ここまで。

この後の展開は痛くて
涙も出てきやしない。

唯一の救い(?)は
ラストシーンの直後、
「やれやれ、撮影終わったよ~、さあ、片付け、始めよっかあ~。」という
佇まいを匂わせているところ。

「そか、そか、これは単なる“虚構”。一つの不条理劇に過ぎないのよね。
よかったよかった~」と
鑑賞者は、あっけにとられつつも“現実”に“戻る”ことができる

・・・のか?

戻るべきところは現実なのか虚構なのか。
そこで再び鑑賞者は戸惑う。


この辺が、監督の凄い所というか。(とんでもなく嫌な所とも言う。)



◇  ◇  ◇

セルマの“母の愛”の深さ・自己犠牲を描いたものだ!
いや、こんなの母の愛でも自己犠牲でもなんでもない!
単なるエゴイズムだ!

・・・なんて議論を見かけたこともあるけど
私は、どっちでもいいや・・・。

ただ、1つだけ、この作品の凄い所を挙げるのならば、
現実と虚構の境界にある“膜”のようなものの存在を
強く意識させられてしまうこと、だと思う。

剥き出しの現実に晒されることは、とても痛い。
だから、人は、膜を纏う。
本来、痛みの緩衝材として、無意識に纏っているものを
意識させられる。それだけでも痛い。だから、この作品は痛い。


幾層にも重なって風化してがっちがちに固まった膜。
いろんな色が混ざった膜。限りなく透明で薄い膜。
すぐ破れる膜。
浸透圧調節に長けた
スーパーマルチフレキシブル(なんだソレ)な膜もあるかも。

膜の状態は、人それぞれなんだろう。

膜がない、あるいは、
あっても、あっちとこっちが逆転しています、って人は、
よほどの聖人か狂人かに分類されてしまうんだろうな。




自分の“膜”は、どうかなあ、
金魚掬いの紙くらいの厚さかなあ。
とりあえず、水につけなければ、大丈夫みたい。
金魚掬いの腕前は、ちょっとズルすれば、1・2匹掬えるくらい。
・・・金魚は、“どっち側”から“どっち側”に掬うのだろう?



Dancer in the dark





※セルマ自身は赦しも贖いも復活も望まない。
映画ではそんなふうに感じた。
潔いといえば潔い。“I've seen it all.”
母の愛とか自己犠牲とかエゴイズムとかいう概念の
入り込む余地のないくらいの潔さ。

でも、サントラの「scatter heart」や
「new world」の歌詞を見る限り、
やはり、セルマは「背負い」そして「新世界を拓く」存在に
帰結するのだろうか?

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by ruthk | 2006-09-17 03:30 | えいが

わたしからわたしへの私信
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